西村光恵 母の手仕事 妻の手すさび
大正から昭和にかけて西村伊作の動向を多くの人々が注目しました。「生活を芸術として」と掲げ、1921年に創立した文化学院においては芸術による斬新な自由教育を実践、家族団らんを重視して西洋建築の良いところを取り入れた新しい住宅建築を提案し、新しい生活スタイルを自分の家族とともに貫きそれを書籍でも紹介しました。西村伊作は世界人として通用する人間を育てたい、そのような環境をつくりたいという理想があり、自分の理想を常に実践し社会を驚かせました。そしてその源流はいつも家庭と家族にありました。
西村伊作の妻、光恵についてはこれまで注目されることはほとんどありませんでした。伊作にとって光恵は彼の理想追求の最初の被験者であり、のちの同志でもあったといえます。破格の自由人に嫁ぎ、9人の子供たちを育てながら伊作が考える理想の生活スタイルを実践していくために、光恵は多くの新しいことを学び、創意工夫をこらします。まだ洋服が珍しかった大正時代に、光恵はイギリスやアメリカから取り寄せた子供服の型紙やカタログを使って子供たちの洋服を手作りしています。西洋料理を作るために英語の料理本を夫に読んでもらい、庭の畑で西洋野菜を育てました。震災や戦争などで暮らしが激変しても、暮らしの中の工夫を楽しむほかに、自分自身は茶道、日本画、陶芸なども嗜みました。
Behind every great man, there is a great woman. (偉大な男のかげには偉大な女がいる)
夫の理想実現を舞台裏で支えた光恵の生涯と、彼女の手仕事と手遊び(てすさび)の作品を紹介いたします。家族のための、そして光恵個人の喜びと楽しみのための芸術活動、美への素朴で素直な向き合い方をご覧ください。
洋服で子供たちを育てる 母の手仕事
西村伊作は幼いころから洋服を着ており、若いころから自分の子供は洋装で育てたいと考えていました。それは「子供は洋服を着せたほうが可愛らしいと思ったからで、実用というより趣味からであった」と著書『我子の教育』(文化生活研究会 1923)で述べています。
子供の時から男も女も先ず世界的の服装をしたならば、その挙動にも、遊び方にも、従って思想にも、世界的の人間が出来るだらうと思ひます。 (文化生活研究会 1923)
光恵と裁縫
光恵は若いころから裁縫が得意でした。嫁入り道具にシンガーミシンを持ってきており、新婚時代は夫や叔父の着物や洋服を楽しんで作っています。光恵は新しいことの覚えもよく、優れた美的センスがあることは伊作も認めており、働き者で何事も楽しむ性質でした。
1908年、長女の誕生にそなえて光恵は伊作から当時発行されたばかりの『子供西洋服の拵え方』(松江みさ子著 服部書店 明治41年)という本を受け取っています。子供の洋服はもとより洋服自体が日本にまだ普及していない明治末期に、自分の子供たちを本物の洋服ばかりで育てるには、伊作は妻の手仕事に大いに頼ることになります。
海外から子供服と型紙を取り寄せて学ぶ
伊作は外国からの可愛らしい子供服を買ってきたり、外国雑誌の子供服のイラストを見せたりして光恵の子供服へのイメージをひろげました。普段から書籍や日用品などを海外から取り寄せており、とくにアメリカのメールオーダーカタログ『モンゴメリーワード(Montgomery Ward)』から子供服を取り寄せていました。光恵は届いた服の仕立て方、裁ち方をよくしらべ、袖の形、縫い方、身頃の裁ち方、如何に作ってあるかを見て、その大体の型を覚えました。長女、長男が幼いころ、取り寄せた服を着ている姿が写真に残っています。
イギリスの月刊子供服雑誌『ウェルドン(Weldon’s Bazaar of Children’s Fashions)』を光恵は定期購読していました。毎月雑誌と付録で3~4種類の型紙が届き、ひと月遅れでロンドンの流行を自分の子供たちに着せることができました。光恵はとても柔軟な考えで洋服づくりをしており、西洋の子供服でも浴衣用の反物で縞や格子や小紋の柄を楽しんで何着も仕立てています。男児のコートは古くなった毛布を利用しています。
光恵の子供服
光恵の著作
『愛らしい子供服 着せ方と・裁ち方と・縫ひ方と』
西村光恵著 1922年實業之日本社
洋服と洋裁の入門書で洋服の着方、洋裁の基本を図入りで丁寧に解説。嬰児からティーンエージャーまでの男女54種類の服の作り方が掲載されています。型の多くは英国の子供服雑誌ウェルドンから取っています。子供服の挿絵は雑誌からのものが多数ですが、その他の型紙の図や縫い方などの図解説は書籍のために書き下ろしています。
『子供服の新しい型とその裁ち方』
西村光恵著 1924年 文化生活研究会
光恵の二冊目の著書には、一冊目と同じく嬰児からティーンエージャーまで、男女45種類の服の作り方が掲載されています。挿絵には伊作のデザイン画が多く使われています。西村家の子供たちが伊作のデザイン画や書籍にある子供服と同じデザインの洋服を着ている姿が写真で多数見つかっています。
つくることを楽しむ 妻の手すさび
1950年代から光恵は陶芸、日本画や染め物などを始めています。子供たちも自立し、それまで家族の世話に費やしていた労力を、今度は自分の楽しみのために惜しみなく使うことができたのでしょう。夏は軽井沢で草花を描き、染め物を制作しています。
茶道が好きで江戸千家茶道教授の資格を持つ光恵のために、伊作は自宅の庭に茶室を建てています。茶友との茶会や光恵が孫娘たちに稽古をつける姿が写真にあります。香合、茶入、蓋置、水差などの光恵手づくりの茶道具も残っています。戦後伊作は特に作陶に熱心でしたが、光恵も一緒に陶芸を楽しんでいたのではないかと思われます。
光恵の作品は誰かに見せる、個展を開くなどということではなく、純粋に描くこと、つくることを楽しんだ作品たちです。それが本来の美の愉しみではないでしょうか。