ルヴァン美術館 創設者からのご挨拶

旧館長・ルヴァン美術館創設者
故 西村 八知先生

軽井沢の沓掛(今の中軽井沢)の星野温泉を見下せる丘の上の別荘に、西村伊作は与謝野寛、晶子たちと1週間ほど滞在していました。それは1920年のことです。、軽井沢に居た有島武郎の別荘(そこが臨終の家でした)へ馬車で訪ねたり、千ヶ滝の秋草の原に遊んだりしました。やがて彼等の間に、子供達の為に個性と自由の美しい学校を創る夢が生まれたのです。そして1921年に東京駿河台に伊作が設計した、英国のコテージ風の白壁の校舎、緑の芝生の庭で可愛い少女達の遊ぶ風景が実現したのです。それは当時の学校のイメージを変えたものとして話題となりました。

新設されたル・ヴァン美術館は、この大正の芸術家達の創った夢と風の思想を世に送るために出来たものです。この建物や庭園はなるべく創立当時の学校の雰囲気を再現しようとしたものです。自然な教育、質素でも美しい生活、これが伊作や与謝野夫妻そして石井柏亭たちの共通した思想でした。美の夢を持った西村伊作は、あえて素人(しろうと)の自由人であることを貫きました。この学校の教育者たちも職業的教師ではなく教育の素人が集まったのです。

型にはまらない教育、型にはまらない人間がそこに生まれたのです。そこには今の社会で見失いがちな教育の姿がありました。

その姿の魅力にひかれて、この学校の教育に参加した芸術家が多く、文学部では高浜虚子、菊池寛(2代文学部長、初代は与謝野寛)、川端康成、横光利一、小林秀雄、阿部知二そして4代文学部長佐藤春夫などが前期の教授陣にありました。

美術部のほうも石井柏亭を中心に赤城泰舒、中川紀元、山下新太郎、正宗得三郎、有島生馬などが親身になって参加したのです。

またその中期には今泉篤男を中心に硲伊之助、脇田和、山口薫、村井正誠、佐藤忠良、それに不定期の特別講師に棟方志功、猪熊弦一郎などが見えたものでした。

さて、文化学院のあり方ですが、それはただ美しき夢だけではなく、世間の風潮を批判し間違ったものに従わないという伝統であります。思想の貞操とでもいうものです。かつての戦時中の時局の思想に迎合しなかった唯一の学校でもありました。しかしこの文化学院は社会に対して叛逆するという気持ちでやっているわけではなく、ごく自然に本当のことをやっているだけなのです。ごく自然に、これが文化学院のあり方です。このル・ヴァン美術館の庭も、ごく自然の野原のようにと、いま庭師にいっています。良く作られた立派な庭園でなく野草のはえた野原でありたいのです。

今の社会の手のこんだ作られた教育になにか歪みを感じるこの頃、ごく自然な人間というのがどんなに貴重かと私は思っているのであります。