第1室 西村伊作

西村伊作は大正デモクラシー期を代表する文化人の一人です。
彼は大石誠之助と日本人の生活近代化に取り組み、生活の改善や教育・住宅の改革を説き、当時の人々 から熱い支持を集めました。

伊作の叔父の大石誠之助は明治末期の大逆事件で処刑された医師で、本年、故郷の新宮市の名誉市民となり注目されました。

伊作には9人の子供がいます。長女アヤが中学にあがるのを期に、彼女の通うのにふさわしい学校が必要と考え、1920年夏に与謝野鉄幹・晶子夫妻らと軽井沢、沓掛で相談し、翌年東京駿河台に文化学院を創立し、自由で伸び伸びとした教育を実践しました。

留学が珍しい戦前は、今とは困難の度合いが全く違う状況でしたが、子供たちは、伊作の勧めもあり、 独自の考えで海外に向かったのでした。

一方で、軽井沢は西村家にとって特別な意味を持っています。
伊作が文化学院の設立を決めたのは軽井沢であり、1920年代には、軽井沢に住み始め、
1930年に土地を購入し、家族の為にコテージをいくつも建てました。

以降西村家にとって軽井沢の家は、現在も海外に散らばる家族をも含め、一族の集いの場所となっています。

そんな家族の歴史、子供たちの生き方を当時の貴重な写真、絵画などで紹介します。
同時に、新宮での初期の伊作の絵画を展示致します。

1898(明治31)年
広島の明進中学時代
ひとりハイカラーの洋服姿
自画像 油彩
伊佐田の家にて
1914年 油彩
窓際で本を読む母と赤ん坊