第2室 西村光恵 母の手仕事 妻の手すさび

大正から昭和にかけて西村伊作の動向を多くの人々が注目しました。西村伊作は世界人として通用する人間を育てたい、そのような環境をつくりたいという理想があり、自分の理想を常に実践し社会を驚かせました。そしてその源流はいつも家庭と家族にありました。

西村伊作の妻、光恵についてはこれまで注目されることはほとんどありませんでした。伊作にとって光恵は彼の理想追求の最初の被験者であり、のちの同志でもあったといえます。破格の自由人に嫁ぎ、9人の子供たちを育てながら伊作が考える理想の生活スタイルを実践していくために、光恵は多くの新しいことを学び、創意工夫をこらします。まだ洋服が珍しかった大正時代に、光恵はイギリスやアメリカから取り寄せた子供服の型紙やカタログを使って子供たちの洋服を手作りしています。西洋料理を作るために英語の料理本を夫に読んでもらい、庭の畑で西洋野菜を育てました。震災や戦争などで暮らしが激変しても、暮らしの中の工夫を楽しむほかに、自分自身は茶道、日本画、陶芸なども嗜みました。

夫の理想実現を舞台裏で支えた光恵の生涯と、彼女の手仕事と手遊び(てすさび)の作品を紹介しています。家族のための、そして光恵個人の喜びと楽しみのための芸術活動、美への素朴で素直な向き合い方をご覧ください。

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2023年展示 伊作の妻 西村光恵