歌人(1878~1942)
 12歳の頃から「源氏物語」を独学した

1878年 大阪府堺市生まれ。
1894年 堺女学校専攻科を卒業、その後家計を助けるかたわら古典、現代 文学などを自学自習した。
1900年 「新詩社」創立とともに参加し、与謝野寛を織ってその芸術と人 間性に傾倒した。
1901年 与謝野寛と結婚。処女歌集「みだれ髪」我が国ロマン主義文学に 新風を投じた。
1904年 日露戦争に出征した弟に与えた長詩「君死にたまふことなかれ」 を「明星」誌上に発表し、多くの論争を呼び起こした。
1912年 外遊中の寛と共にヨーロッパ諸国を巡遊。
     帰国後、社会問題、婦人問題に筆を執り、大正評論界に平塚雷鳥、 山川菊栄と並んで重視された。
「明星」の浪漫主義を発展させ、絢爛とした耽美的な世界を表現する一方、社会・政治への関心も強く、女性解放の先駆的意義をもつ「青鞜」創刊に協力。
「新訳源氏物語」など古典関係の仕事も多数。
1921年 文化学院創立に参加。
1924年 文化学院の校歌「賀頌」を作詞、作曲は山田耕筰。
*文化学院には西村伊作、石井柏亭、夫寛と共に創立より参加し、男女平等教育を唱え、日本で最初の男女共学を成立させた。
「源氏物語」などの古典や詩、短歌を論ずる他、学院の運営に長く携わり、1941年病を得て倒れるまで20年余りを女学部の学監として教壇に立ちその精神的な支柱として活躍した。
夫・實は文学部の初代部長となり、1930年まで教壇に立つ。
1942年 逝去、享年 64歳。 遺歌集「白桜集」

与謝野 晶子 <ことごとく青春の子が・・・・(書)>