文化学院創設者(1884~1963)

和歌山県新宮市に生まれ、幼くして両親を震災で失い、山林主の母方の西村家の養子となり遺産を引き継ぐ。青年期から独学で絵を描き、陶器を作り、欧米のモダンリビングをとり入れた自邸を設計。アメリカ留学を終えた医師である叔父、大石誠之助と本格的に生活の改善、欧米化を推進する。

自らの理想を貫き通したその自由な生き方は現在も多くの人々に感銘を与えている。

1884年 和歌山県新宮町生まれ。大石余平の長男に生まれる。
1987年 幼くして、熱心なクリスチャンであった両親を震災で失い、山林主の母方の西村家の養子となり、家督を相続する。
1903年 広島県明道中学卒業。この頃から欧米の建築文化に深い興味を持つ。
アメリカ留学を終えて帰国した医師である大石誠之助と本格的に 生活の改善、欧米化を推進した。富本憲吉氏や佐藤春夫氏など文化人と交流を持ち、「生活を芸術として」を実践すると同時に、 多くの著作によって大正期の人々に新しい生活を啓蒙し続けた。
1916年 陶器窯を持ち、制作に熱中する。
1920年 娘アヤ、息子久二を連れて与謝野夫妻、石井柏亭氏らと軽井沢に 遊び、文化学院創立の相談をする。
1921年 東京神田駿河台に文化学院創立。生徒一人一人の個性を尊重し、 自由に育む教育を実践した。又当時の一流の学者と芸術家を教師 として招きカリキュラム構想も斬新であった。
1943年 軍当局により文化学院閉鎖命令を受ける。
1946年 終戦を迎え、文化学院再開。院長就任。卒業生からは多数の文化 人を輩出した。
1963年 膵臓癌で自宅にて死亡。79歳。
最後まで教育と陶器制作に励んだ。

西村 伊作 <佐藤春夫像(木炭素描)>
西村 伊作 <北山の山と雲(ガッシュ) 1916>
西村 伊作 <蓬来山(ガッシュ) 1914>
西村 伊作 <眞の自由は…(書) 1947>
西村 伊作 <電柱と雲(油彩)>