愛と叛逆 文化学院創立者 西村伊作と娘 アヤの教育への挑戦
同時開催 村井正誠 素描展 

 大正から昭和にかけて日本人に新しい暮らしを提案し一世を風靡した西村伊作は、1921年に芸術による新しい教育を試み「文化学院」を創立します。当時の画一的な女子教育・中等教育とは一線を画し、文化学院では歌人、作家、芸術家たちを教員とし、個人の想像力を本人の長所と希望に従い自由に発揮せしめる教育を目指しました。芸術と自由闊達な空気にあふれる環境で育てられた子女たちは。既存の価値観に縛られることなく、卒業後も活躍の場を広げていきました。

 西村伊作の画期的な教育への挑戦は、彼自身の家族の成長とともに創造的に広がりをみせました。とくに伊作の長女アヤは、伊作が理想とする暮らしと教育の実践を幼少期から家庭で受け、文化学院で学び、芸術と自由の教育の結実の人と言えます。少女のころから異彩を放ち12歳で「ピノチヨ」、13歳で「青い魚」を出版、文化学院卒業後の1928年に渡米し大学で学ぶ傍ら日本の少女雑誌の特派記者として寄稿しました。帰国後は文化学院で教員となり、教育や女性の生き方に関するエッセーを執筆、日本に初めて「大草原の小さな家」シリーズの『長い冬』を翻訳で紹介し、当時の日本女性の枠にはおさまらない生き方をしました。

 アヤの文化学院同期には、のちに洋画家となる村井正誠がいました。文化学院大学部美術科を卒業後、村井はパリへ留学、帰国後は精力的に創作活動を続け、日本の抽象絵画の草分けとして活躍します。彼は「日本美術家協会」を結成、「モダンアート協会」を組織し、日本の現代美術に大きな足跡を残しています。

 2025年ルヴァン美術館の企画展では、西村アヤ(石田アヤ)や村井正誠といった文化学院創立期の教育を享受した人の足跡と作品、および彼らを育てた芸術家たちとの交流を紹介し、自由思想と芸術による教育の実りをご覧いただきたいと思います。

(会期 6月7日(土)~11月3日(月・祝))